大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第一小法廷 昭和50年(あ)48号 判決

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人石田浩輔の上告趣意は、刑法二〇五条二項は憲法一四条に違反して無効であるから、被告人の本件所為に対し刑法二〇五条二項を適用した原判決は、憲法の解釈を誤ったものであるというのであるが、右規定が憲法の右の法条に違反するものでないことは、既に当裁判所の判例(昭和二五年(あ)第二九二号同年一〇月一一日大法廷判決・刑集四巻一〇号二〇三七頁)とするところであり、その結論自体については、今日でもこれを変更する必要を認めない(昭和四八年(あ)第一九九七号同四九年九月二六日第一小法廷判決・刑集二八巻六号三二九頁参照)。それゆえ論旨は理由がない。

よって、刑訴法四〇八条により、主文のとおり判決する。

この裁判は、裁判官下田武三の意見及び裁判官団藤重光の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

裁判官下田武三の意見は、次のとおりである。

私は尊属傷害致死に関する刑法二〇五条二項の規定が憲法一四条に違反しないとする本判決の結論には賛成であるが、その理由には同調することができない。この点についての私の意見は、最高裁判所昭和四五年(あ)第一三一〇号同四八年四月四日大法廷判決(刑集二七巻三号二六五頁)で述べた反対意見と趣旨において同一であるから、これをここに引用する。

裁判官団藤重光の反対意見は、次のとおりである。

刑法二〇五条二項の合憲性については、多数意見に引用されているとおり、すでに古く昭和二五年一〇月一一日大法廷判決・刑集四巻一〇号二〇三七頁があり、また、あたらしく昭和四九年九月二六日第一小法廷判決・刑集二八巻六号三二九頁がある。右の大法廷判決における多数意見によれば、「刑法において尊属親に対する殺人、傷害致死等が一般の場合に比して重く罰せられているのは、法が子の親に対する道徳的義務をとくに重要視したもの」で、かように「道徳の要請にもとずく法による具体的規定」を設けることは憲法一四条に反するものではないとされた。これは刑法二〇五条二項に関する判例であるが、判旨中に尊属殺人罪にも言及しており、判旨の考え方からいっても、刑法二〇〇条も当然に合憲とみとめられるべきことになる。現に、引き続いて昭和二五年一〇月二五日大法廷判決・刑集四巻一〇号二一二六頁は正面から刑法二〇〇条の合憲性を承認するにいたった。このような判例に画期的な転回をあたえたのが、いうまでもなく、刑法二〇〇条に関する昭和四八年四月四日大法廷判決・刑集二七巻三号二六五頁であって、この判決によって刑法二〇〇条が違憲とされることになった。昭和二五年の二つの大法廷判決ではわずかに真野、穂積両裁判官の違憲説があったにすぎないのに対して、刑法二〇〇条に関するかぎりは、逆転して違憲説が多数を制するにいたったのである。しかし、昭和四八年の大法廷判決における多数意見は、いわゆる手段違憲説であって、「刑法二〇〇条は尊属殺の法定刑を死刑または無期懲役刑のみに限っている点において、その立法目的達成のため必要な限度を遥かに超え」ているので、「合理的根拠に基づく差別的取扱いとして正当化することはとうていできない」ということを理由としている。したがって、この考え方からすれば、尊属傷害致死罪については、その法定刑は無期または三年以上の懲役であるから、刑の重さの点においても、通常の傷害致死罪との権衡の点においても、「合理的根拠に基づく差別的取扱いの域を出ないもの」であるという議論が成り立つことになる。これが前記の昭和四九年の第一小法廷判決における多数意見の採るところである。

ところで、昭和四八年の大法廷判決には、多数意見に対し、さらに一歩を進めて、およそ通常殺人罪に対して尊属殺人罪の規定を設けることじたいが合理的根拠を欠く差別であるとする六裁判官(田中二郎、小川、坂本、下村、色川、大隅各裁判官)の有力な意見が付されている。この考え方からは当然に、尊属傷害致死罪の規定も、また、違憲であるという結論が導かれる。昭和四九年の第一小法廷判決において、大隅裁判官が反対意見を書かれたのは、かような見地においてである。そうして、わたくしも、また、同様の見解をとる者である。議論は昭和二五年および同四八年の大法廷判決の中に、ほぼ尽されている感があり、前者における両裁判官、後者における六裁判官の意見は、小異を捨てて大同をとれば、わたくしの意見とほぼ一致する。したがって、ここでは詳論を避けて、簡単に私見の大要を述べるにとどめることとする。

憲法一四条の規定する平等主義の意義は、憲法一三条の規定する「個人としての尊重」や憲法二四条の規定する家族関係における「個人の尊厳」などにも現れている憲法全体の趣旨をもあわせ考えて、これらとの総合的理解の上に把握されなければならない。国民のすべての者が「個人として尊重」されるべく、家族関係においても、家族に属する一人一人の者がそれぞれに「個人の尊厳」をみとめられなければならない以上、憲法一四条一項の列挙中に親子といった身分が明示されていないということは、まったく問題にならないことである。親も子も、みな、それぞれに「個人として尊重」され、「個人の尊厳」をみとめられるべきことはいうまでもないことであって、親子のあいだに尊卑の区別があるべきはずはない。尊属・卑属という用語も、一種の術語にすぎず、尊卑の区別を前提とするものでないことは、もちろんである。親子も平等であるべきことは、憲法一四条の解釈上当然といわなければならない。

もちろん、わたくしも、憲法一四条が合理的な差別さえをも否定する趣旨ではないと解する点では、前記昭和四八年大法廷判決の多数意見とすこしも見解を異にするものではない。しかし、人と人とのあいだに人格的な尊卑をみとめるようなことは、いかなる意味においても、合理的な差別ということはできず、憲法一四条に反するものと考える。

そこで、問題は、直系卑属の直系尊属に対する特別の倫理的義務をみとめこれに法的な裏づけをあたえることが、はたして、人と人とのあいだに人格的尊卑をみとめることにならないであろうかである。もし、子が父母、祖父母に対して負う養育の恩を前提として、かような大恩のある父母、祖父母に対して殺人、傷害致死等の罪を犯すことが、とくに重い非難に値するというのであれば、それは人格的平等とすこしも矛盾することではなく、充分に合理性のあることとして理解されうるであろう。しかし、そうだとすれば、たとえば但叔父母や他人に養育されたばあいに、それらの者に対する犯罪についても同じこととされるべきはずではないか。そればかりではない。直系卑属が直系尊属に対して、つねに養育の恩を受けているということも、一概にはいえないであろう。もちろん、犯罪構成要件は、違法な行為を類型化したものであるから、一応その類型にあたる行為であっても、たまたま、具体的事情のもとに、その構成要件の予想する程度の違法性を具備しないような事例を生じることがありうる。そのようなことがおこるからといって、当の構成要件の規定の合理性を否定することはできない。したがって、尊属に対する罪の構成要件に関しても、特殊の例外的なばあいに、養育の恩愛関係の欠如がみられるというのならば、それは看過されうることといえよう。しかし、尊属に対して殺人、傷害致死などの犯罪がおこなわれるのは多くはよほどの事情のあるばあいであって、親子間の恩愛関係の裏切りがみられるのはむしろ比較的稀有のことである。もし養育の恩愛ということを度外視して、単に、直系尊属・卑属の関係があるというだけの理由によって、尊属に対する罪の刑を加重するということになれば、それは、君は君たらずとも臣は臣たらざるべからず、父は父たらずとも子は子たらざるべからず、という考え方であり、親子のあいだに尊卑の区別をみとめるものであって、憲法一四条とあい容れないものというべきである。

右に述べたことは、本件の事案をみても、おもいなかばにすぎるものがあるとおもう。被告人が本件犯行にいたった経緯は、第一審判決が理由の冒頭および量刑の理由中に詳細に説示しているとおりであるが、その概略を摘記すると、ほぼ次のとおりである。被告人の父である被害者留吉は、婿に来た当初から家庭を顧みず家出をしてしまったため、母キイは被告人を懐妊中も家業の農業を営んで生計を維持していた。やがて留吉は帰宅したが、農業の手伝いもしないで酒を飲んでは家人に乱暴を働いた。被告人は昭和七年に生まれたが、二歳のころ、留吉は再び家出をして約一一年間も行方不明となり、母キイが被告人ら兄弟を養育した。留吉は再度の家出から帰ったのちも、収入はすべて酒色に使い果たし、酒乱になって家で乱暴をし、キイは夜中に家から逃げ出したり、田圃で一晩中苗取りをするといったこともあった。やがて、キイは留吉が放蕩の果てにかかっていた梅毒をうつされ、一〇年あまりののち昭和三六年に進行麻痺により精神病院で狂死するにいたった。キイの死亡後も留吉は反省の色がなく、被告人の妻を割木でたたくなど乱暴をした。昭和四二年には父子の言い争いから被告人は留吉に小刀で切られて一八日間入院するという事件がおこり、これを機会に、屋敷内に小屋を建てて留吉をそこに住まわせていたが、昭和四八年九月留吉のタバコの火の不始末から小屋が焼失したので、留吉は被告人方の本屋で同居するようになった。この前後から、留吉には老耄のきざしがみえ、下着を着たまま台所、子供部屋の中など所かまわず小便をするといった奇矯な行動が目立ち、被告人はこれを家族に対するあてこすりやいやがらせのための行動と受け取っていた。とくに、被告人は、留吉の放蕩のため多額の借金を背負わされながら苦労して自分たちを育ててくれた母キイのために、充分親孝行をしようとおもっていたのに、この母も留吉のために若くして狂死させられてしまって残念でならず、右のような留吉の様子をみるにつけ、憤りと反感をつのらせていた。留吉のような者は養老院にも入れてもらえないだろうと民生委員からきかされた。同年一〇月の犯行当夜、被告人は酒を飲んで帰り食後家族とテレビをみていたとき、子供から、掛布団が小便臭くて寝られないなど留吉のことを責められ、子供たちの気持がわかるだけにかわいそうにおもい、それもこれもみな留吉のせいだとおもうと余計に腹が立ち、ついに犯行に及んだ、というのである。なるほど、本件犯行そのものは、布団の上に寝ている留吉を足蹴にして、肋骨骨折、内臓破裂などの傷害をあたえ、間もなくその場で外傷性ショック死にいたらせたというので、ことに、このころは留吉(当時六九才)も体力が衰え暴力を振るうことはなくなっていたというのであるから、決して軽いものとはいえない。しかし、留吉と被告人とのあいだには親子の血はつながっているとはいえ、養育の恩愛関係といったものは絶無に近く、かえって、自分達を養育してくれた母キイへの孝養の念が留吉の不行跡に起因する母の狂死によって果たせなくなったことが、犯行の大きな動機になっているものと考えられる。母への思慕愛情と結びついた父への憎悪の中にはオイディプス的悲劇の要素も看取されるであろう。このような家庭的環境の中で、兄は早くから家を去って勤めに出てしまい、被告人が残って一家の大黒柱となっていたところ、子供たちからも責められ、ついに、隠忍の末に、本件の犯行となったもののようで、かようなばあいに、なおかつ、直系卑属の直系尊属に対する倫理的義務をいうことがはたしてできるであろうか。

さきにも述べたとおり、尊属に対する殺傷事件がおこるのは、一般に、よほどの事情のあるばあいである。わたくしには、刑法二〇五条二項の適用される事例として、本件のような事案はかならずしも特殊・例外的なばあいであるとはおもわれない。この規定は、この種の事案をも、その犯罪定型中に大きく包蔵している。この規定の定める犯罪定型をもって、直系尊属・卑属間における養育の恩愛関係を前提としたものとして理解することは困難であり、したがって、この規定をもって憲法一四条の平等主義のもとで許される合理的差別の範囲内に入るものとすることは許されないというべきである。

刑法二〇五条をもって憲法一四条に違反するものとした第一審判決は正当であり、原判決を破棄して控訴を棄却するのが相当であると考える。

(裁判長裁判官 岸盛一 裁判官 藤林益三 裁判官 下田武三 裁判官 岸上康夫 裁判官 団藤重光)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例